ビートルズ、そして不合格


そんな僕も高3となり受験生となった。 しかしながら当然ながら、相変わらず、音楽中心の生活は続いていた。 そしてこの頃僕はビートルズとの出会いという重大な転機を迎える。 それについては、以前に別の場で述べたことがあるので、以下に、その文章を抜粋する。

"ジョンレノン最後の夜に寄せて”

 僕が初めてJohn Lennonを聴いたのは、いつ頃のことだったんだろう?実を言うと、僕が洋楽を聴きはじめたのは結構遅かった。僕はもともとは、歌詞が全てだ!と思っているようなタイプのリスナーだったので何を言ってるのかよく分からない英語のうたにはほとんど興味がなかった。多感な中学生時代や高校1年生ぐらいまでは聴く音楽は尾崎豊だけといってもよかった。偉大なるビートルズでさえもきっとその頃の僕は、ああ何だポンキッキのBGMか、ぐらいにしか思ってなかったんだと思う。高校生の頃には何度か洋楽に挑戦(?)したけど結局敗れ去ってた。そんな僕のリスナーとしての転機は高2の体育祭のダンスがもたらしてくれた。僕の高校の体育祭では応援合戦の催しとして毎年、各チームで音楽にあわせての創作ダンスを行なっていた。そして僕のチームのダンスミュージックは・・”MR.MOONLIGHT”だった。あの出だしのフレーズ、ジョンのシャウト、みすたぁぁぁぁむうんらぁぁい、で始まるあの曲だ。(ちなみにアンソロジーのVOL1に入っているNGテイクは笑える。)毎日毎日昼休みに行なわれる練習の中で、ジョンのかさついたあの熱い声が僕の心の奥底にすり込まれていった。頑固な僕はそれでもTSUTAYAにいってCDを借りに走ることもせずに、思春期と真正面にむかいあってノートに詞を書きためては眠れぬ夜にため息していた。そして一年後、またも体育祭の季節がきた。高校三年の春だった。その年の僕のチームの曲は”TWIST&SHOUT”であった。また奴のシャウトだ。何かが破られた。洋楽アレルギーは終わった。体育祭の季節が過ぎるか過ぎないかのうちに僕の手元には”Beatles for sale”のテープがあった。なんでフォーセールかって?”MR.MOONLIGHT”がもう一度聴きたくなったからさ。そして・・夏休み、受験勉強もせずにスタジオに通う僕がいた。文化祭にむけてのビートルズのコピーバンドの練習だった。帰り道”A HARD DAY’S NIGHT”のCDを買った。雨男の僕が家路につく頃には夕立がアスファルトをたたいていた。自転車をとばしてようやく辿り着いた部屋で濡れた髪をタオルでふきながら奇跡のような13曲を聴いた。ビートルズで一番好きなアルバムは何ですか?と聞かれたら間違いなくこのアルバムを挙げるだろう。なぜならこのアルバムのジョンの声が一番好きだからだ。僕はもう戻れない道を踏み出してしまってた。秋が来て文化祭でのビートルズのコピーバンドはそこそこ評価されたし女の子からもちょっとだけキャーキャー騒がれてみたりもした。けれどそこで満たされて受験勉強にスイッチを切り替えたりは出来なかった。僕の成績はクラスでビリから3番までに下がっていた。(ちなみにビリから2番は僕のバンドのベーシストだったらしい。)学校の中で目に映る全てがあほらしかった。受験指導の時間なんて間抜けな顔で教師の言葉にうなずいてる同級生達の頭の上にマジックで”バカ”と書きたくてたまらなかった。音楽室でピアノにむかって相変わらずビートルズの曲を叫んでいた。本当はそんな僕こそバカまるだしだった。受験は失敗だった。

これは僕がかつて、 某ライブハウスのジョンレノン追悼企画ライブに出演したときに書いた文章の一部である。 そう、受験は失敗だった。具体的に言うと、僕は地元の国立大学の教育学部を受けて、 ”落ちた”のだった。 正直に言うと、僕はけっこう小さい頃から勉強はできる方だった。 (こういうことを言うとケッと思う人もいるかも知れないけど、 みんないろんな長所があると思うんだ。 足が速いとか、美人だとか、絵がうまいとか。 僕の場合の幼い頃はそれが単に学習活動だったってことだよ。) 心のどこかで、”俺が本気でちょいちょいとやりゃあ、大学のひとつやふたつ。” と考えていたのも事実だ。 全然やる気にならないまま、日々をすごし、 本当にギリギリ直前期になって、まるで定期テストの一夜漬けのような勉強をして、 自信満々で受験に臨んで見事に轟沈した。僕はそれをテレビの合格者発表の番組で知った。 テレビ画面上の青バックに白いスーパーで合格者の受験番号が上から下へと流れていた。 BSN(新潟放送)のアナウンサーが淡々と番号を読みあげていた。 そして、僕の受験番号は当たり前のようにあっさりと飛ばされていった。
”あれ?終わり?今・・無かったよね・・・。”
アナウンサーはブラウン管のむこうの、僕の存在を気にとめることも無く、 ただ数字を読み上げ続けていた。僕とは全く関係のない番号を・・。 全身の力が抜けた。勉強ということに関して僕自身が初めて味わった決定的敗北感だった。 ”受験なんて!”とか”体制に迎合してたまるか!”とか、 言っていたのは他でもない僕自身だったのだけど、 ”不合格”は予想以上につらいものだった。

結局、本気になれなかったことが”不合格”の一番の理由だろう。 僕自身、大学に行く意味、受験をする意味、を全く見出せなかった。 ただ、でも、僕は、 ”現役で不合格で良かった”と思う点もたくさんある。 高校時代の僕はほぼ三年間を通じて、 受験ということへの意識は全くのゼロだったと言っていい。 それだったからこそ3年生の秋までバンドをやるなんてことができたんだと思う。 (余談だけど、この前同じメンバーで10年ぶりにスタジオに入った。 みんな相変わらず、まともな仕事にもつかないで必死で音楽やってたよ。) それにあのまま、ただなんとなく、地元の国立に入っていたら、 もっと小さな人間になっていたような気がする。 あの時点で敗北感を味わうことは僕にとって必要なことだったんだと思う。

で、不合格の後、僕はどうなったのか? そうだな、相変わらず、”何のために受験をするのか?”って悩んでいたよ。 でも、しばらくして、狂ったように勉強し始めた。 どうしてかって?それについては、別の機会に。

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