オタクだった!


実は中学生のときは世に言うオタクだった。 (まだ中学の頃にはオタクという言葉自体はそんなに一般的ではなかったが。) 専門分野はウルトラマンや仮面ライダー等の特撮ものだった。 帰ってきたウルトラマンの再放送でもあろうものなら気合いを入れて全話エアチェックし、 同人誌を作って熱く語っていた。 高校に入ってからも、東映の戦隊シリーズやライダーもの等はしつこく全話エアチェックを続けていた。 ただ、高校に入ってからは、いくらかオタク系文化からは、 少しずつ遠のいていった。 音楽と出会ってしまったからだ。 中学からすでに作曲は始めていた。 中3の読書集会かなんかで、詩の朗読にあわせてピアノで伴奏をするというのが、 ミュージシャンとしての目覚めだったのかもしれない。 ”ウルトラマン80”について熱く語っていたときは汚いものを見るように見られていたのに、 たかがステージでピアノ演奏を披露した途端に周りの奴らの態度が明らかに変わった。 当時の僕にとってはどちらも”ただ好きなことをやっているだけ”だったのに、 音楽をやっているというだけでこんなに尊敬されるものかと驚いた。

高校の自己紹介では、”趣味は作曲です。”と言っていた、 それでもオタクとしての僕は高1くらいまでは確実に生きていた。 高1の文化祭では、”現代社会の流れ”などと適当なタイトルをつけて、 教室で超合金などの懐かしグッズの展示をして、 全校で3位という好評価をもらっていた。 でも、ステージでのバンド演奏をしている奴らに対して多少の羨ましさを感じていたのも事実だった。

オタクな生活を続けてはいた。しかしながら当時の特撮物はあまりにもつまらない作品が多く、 イマイチ燃えないオタクライフだった。 高2の夏、連続幼女誘拐殺人事件が起きた。いわずとしれた、あの宮崎勤の事件だ。 テレビの報道を見て愕然とした。 そこには僕の部屋をパワーアップしたような部屋が映っていた。 ”これが俺の将来の姿か・・・”という不安も感じた。 そして、高2の夏は僕にとって大きな転機となる夏となった。 ちょうど秋には文化祭デビューも決まっていた。 (詳しくは後程。) そうこの頃から僕の中で明らかにオタク度が弱まっていったのだった。

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