インチキ?謎のオーディション(4)(テレビ&プレゼンライブ編)


これは書いていて複雑な気持ちになりました。もしかして資本主義というシステムそのものの問題なのかもしれません。(情報提供者保護のため、仮名&フィクション仕立てになっています。)
大学時代はサークルを代表するバンドであった「ザ・ビートレス」も結成から遂に10周年を迎えた。こう書けば聞こえはいいが、実際は特にデビューが決まるわけでも、ライブハウスの観客動員が多いわけでもなく、何となくここまで来てしまったということなのだ。リーダー&リードギターの針村譲二も今日遂に三十歳の誕生日を迎えた。

「これでメンバー全員三十歳越えか…。」

なんだか重い気持ちになってしまった針村だった。これでも「ザ・ビートレス」は大学時代はW大学を代表するバンドだった。学園祭のメインステージでは、同じくW大出身の今を時めく「ローリングストームズ」と共演したこともあった。

いつのものようにライブハウスでのライブを終える。「ザ・ビートレス」の動員は8人。最近は10人を切ることもしばしばだ。大学時代についていたお客さん達はもう、皆就職し、結婚している。なかなかライブハウスに来てはくれない。かといって新たなファンを獲得できそうな土日や祝日には、もうブッキングしてもらうこともなくなっている。この前出た渋谷のライブハウスの巻井という店長からは「休日は人気のあるバンドさんに出てもらっているんですよね」と辛辣な言葉を浴びせられた。どのライブハウスのブッキングマネージャーも「ザ・ビートレスはもう旬を過ぎたバンド」と認識していた。おのずと平日の「どうでもいい日」の夜に「ザ・ビートレス」は出演を余儀なくされていた。

コンビニで発泡酒を買ってアパートに辿り着き、灯りをつける。コンピュータを起動する。7年前に立ち上げた頃は賑わっていたが、最近は閑散としている「ザ・ビートレス」のホームページ。それでも針村は時々日記らしきものを更新する。掲示板に久々の書き込みがあった。

いい曲ですね。いいバンドを見つけることができて本当に嬉しいです。メールをお送りしましたので、詳しくはそちらをご覧になって下さい。お返事お待ちしています。

針村がメールをチェックすると確かにメールが来ていた。差出人は「オフィス・エプスタイン」となっていた。メールにはこう書かれていた。

「ザ・ビートレス」様。ホームページにアップされていたあなた達の楽曲を聴いて大変な感銘を受けました。私どもは、未来の音楽業界を背負って立つ新たな逸材を発掘する事業を行なっています。是非一度直接会ってお話しませんか?

針村は思った。うさんくさー。でも、とりあえず話だけでも聞いてみることにした。「オフィス・エプスタイン」の社長を名乗る安倍氏は、針村を前にこういった。

「これが最後のチャンスだよ。君達もただライブハウスに出て、ノルマを払っての繰り返しにはもう飽きているんじゃないのかい? 君達に約束しよう。君らを1年以内にテレビに出す。それから、業界向けのプレゼンライブを企画しよう。」

針村はメンバーに相談した。とにかくメンバー達も「このままライブハウスでやっていても仕方ない」ということに関しては一致した。何となくバンドの中に刺激が欲しかった。とにかく新しい展開が欲しかったのだ。「ザ・ビートレス」は「オフィス・エプスタイン」に賭けてみることに決めた。いや誰が「決めた」わけでもない。ただバンドがひとつとなって、そちらへ向かって自然に歩き出したのだ。久しぶりだった。「ザ・ビートレスが動いている!」あの大学時代に聞こえていた胎動のようなものがバンドによみがえった。

「ザ・ビートレス」再生計画が安倍氏指導の下にスタートした。新宿に新しく出来たライブハウスに安倍氏がブッキングしてくれた。それも久々の土曜日の夜だ!

「うちの系列店だからね。私の一存でどうにでもなるんだよ。」

頼もしい安倍氏の言葉にメンバーは燃えた。久々の土曜のブッキング。最近まで出ていた某ライブハウスのノルマは\1500×30枚。今回の新宿の店のノルマは\1500×50枚だったが、今の「ザ・ビートレス」にとっては問題ではなかった。「久々の土曜日」「事務所のバックアップがついた」それを聞き付けたかつてのお客さん達が戻って来てくれたのだ。対バンも「ザ・ビートレス」と同じように「オフィス・エプスタイン」のバックアップを受けているバンドだった。久々に「熱いハコ」で「熱い空気」を「ザ・ビートレス」は味わった。針村は最後の曲で泣いていた。針村のギターも絶妙にむせび泣いていた。お客さんも「ザ・ビートレス」の音楽に酔いしれた。最高の夜だった。

「ザ・ビートレス」が、「バッド・リンガー」と出会ったのはその夜が最初だった。「ザ・ビートレス」と同じ4ピース編成。若くイキのいいバンドだった。特に全ての曲の作詞・作曲を手掛けていたボーカルの公雄君はこのバンドの核だった。対バンを集めてのライブの打ち上げの席。安倍氏はこう話した。

「ここに集まっているのはどれも素晴らしいバンドばかりだ。お互いに切磋琢磨して、高めあっていって欲しい。」

それから、半年間。「ザ・ビートレス」は新宿のその店で月1回のブッキングライブを続けた。時には月2回ということもあった。少しずつノルマをさばくのがキツクなっていった。しかしこれは「オフィス・エプスタイン」のバックアップを受けるためには最低限こなすべき条件として安倍から課されたものだった。断ることはできない。とはいえ、「ザ・ビートレス」は、それなりに新規のお客も獲得できていたし、それなりの充実感の中で日々を過ごしていた。

ある日安倍氏から遂に業界プレゼンライブの提案がされた。「東京サリヴァンホール」に音楽業界関係者を集めて、ライブイベントを開催するのだった。出演は「ザ・ビートレス」「バッド・リンガー」などの「オフィス・エプスタイン」の精鋭10バンド。東京サリヴァンホールはホールとしては小さいながらも海外アーティストの日本公演などでもお馴染みで、ロックバンドなら誰でも憧れる聖地であった。

さすがの針村も震えた。まさか「東京サリヴァンホール」に自分が出演できるなんて。ここで安倍から条件が出された。「あの東京サリヴァンホールでやるからにはかなりの数の観客動員が必要であること」「照明や音響はできる限り良くしたい」とのことで、ノルマは各バンド¥2000×100枚。更に音響や照明使用料として、各バンドが3万円ずつ負担することになった。

針村は必死でチケットを売った。昔の知り合いにも声をかけてとにかく、このチケットノルマをこなそうと努力を重ねた。時には「えー、この前もチケット買ったでしょー? 東京サリヴァンホールってどこ?知らないわよ。」などと厳しい言葉をもらうこともあった。確かに「東京サリヴァンホール」はブレイク直前のアーティスト等が出演する類のハコで、音楽好きの人間なら誰でも知っているが、一般人にはそれ程認知されていない存在だったかもしれない。

業界プレゼンライブ当日になった。東京サリヴァンホールのフロアは「***レコード」「***エンターテイメント」などの花環で飾られていた。背広にネクタイ姿の人達や、オシャレなジャケットにサングラスのいかにも業界人っぽい人達が来ていた。確かにこれまでのライブハウスでのライブとは雰囲気が違っていた。でも針村の心は晴れなかった。せっかくのプレゼンライブなのに、自分達のお客さんが少ないのだ。いや、それなりには来ている。でもさすがにこれだけライブが続いていて、更にこの規模のハコだ。他の若いバンドと比べると自分達の動員は見劣りしていた。

精一杯のライブステージを終えた。針村の体調はあまり良くなかった。これまでのライブのノルマ代、さらに今回の分のノルマを稼ぐには、もはや針村のバイト代は不足してした。針村はこれまでずっと続けてきたインドカレーの店でのバイトに加えて、深夜の吉野家でもバイトを始めた。睡眠時間は一日4時間程となっていた。今日のステージは正直言ってあまり良くなかった。

イベント終了後。「ザ・ビートレス」に声をかけてくる業界関係者は誰もいなかった。いや、他のバンドが声をかけられていたのかどうかもよく分からなかった。ただ、ライブ後の打ち上げの席で安倍氏から「バッド・リンガー」が某大手レコード会社のディレクターから声をかけられたと教えられた。今夜の酒は身に心に染みた。針村はとにかく飲んだ。メンバーと話をすることさえもしなかった。しばらく立つと針村は眠気からか、アルコールのせいか、意識を失っていた。…が、安倍の一声がかすかに意識の向こうで聞こえて目を覚ました。

「実はあるテレビ番組の話が進んでいてね。」

この秋から始まる「インディーズbeアンビシャス」という新番組で出演バンドを募集しているとのことだった。いよいよ「ザ・ビートレス」がテレビに出るチャンスだ! 安倍の話では、まずはデモテープで1次審査。その後、新宿の例の店で2次審査。そして最終選考ライブを「東京サリヴァンホール」で行ない、そこで勝ち上がったバンドが見事に「テレビ出演」の栄冠を勝ち取るという方式になっていた。「オフィス・エプスタイン」のアーティストはテープ審査は免除し、いきなり2次審査からという特典つきだった。審査基準は「演奏力、パフォーマンス、楽曲の良さ、それから人気」ということだった。当然チケットノルマが課された。ノルマは\1500×50枚、いつもの数字ではあったが、日取りを聞いて針村は愕然とした。

「あれ?この日って平日じゃないっすか?」
「そうだよ。だってまだ予選なんだから仕方ないだろ。」

新宿で行なわれた2次審査ライブには急遽、カメラが入った。「インディーズbeアンビシャス」のディレクターを名乗る佐藤という男が針村に名刺を出し挨拶をしてきた。有望なバンドについては予選の段階から撮影をしたいとの申し出だった! 当然、針村は快諾した。バイトの疲れも吹き飛んでいった。…が、その喜びもほんの数時間後で、一瞬にして消えた。ライブ後の精算の時間だった。

「えーと、ビートレスの動員は今日は15人かー。ちょっと少ないねえ。マイナス\1500×35人で、\52500ね。それから、撮影代として\20000ね。合わせて\72500。」
「おい、ちょっと待てよ! そんなの聞いてねえよ。撮影代って何だよ!」

さすがの針村もキレた。しかし安倍は冷静だった。プロの撮影スタッフを一日雇うとどれくらいの金額がかかるのか、それから撮影機材の搬入や運搬の費用。更にはディレクターの佐藤さんにもいくらかお礼を払わなければならないことが、詳細な数字を上げて語られた。大学では文学部東洋哲学専修だった針村は数学が苦手だった。細かい数字を出されてもよく分からなかった。とりあえず安倍が誠意をもってこのプロジェクトを成功させようとしていることは何となく分かったような気がした。

「分かりました。安倍さん。お金は払います。でもちょっとだけ待っていて下さい。正直言って僕らは今手持ちのお金がないんです。」

そう言って針村はいったん新宿の町に出て「ほのぼのレイラ」と書かれたお店の「お金の出てくる機械」から10万円を下ろして来て\72500を安倍に支払い。残りは生活費に当てた。

何とか「ザ・ビートレス」は最終選考ライブに残ることができた。2度目の「東京サリヴァンホール」だ。ノルマは各バンド¥2000×100枚。音響や照明使用料\30000に加えて、撮影代\20000が必要だった。「ザ・ビートレス」の財政的にはもうこれでギリギリの所まで来ていた。これが最後の闘いだ。ビートレスは本当に命ギリギリの所で毎日を送っていた。睡眠時間も金も体力も何も無かった。ただひとつだけあったもの、それが「希望」だった。この試練の向こうに栄光がある。針村はそれだけを信じていた。その日ビートレスは素晴らしい演奏を繰り広げた。

結果発表。ビートレスは見事に「テレビ出演」の栄冠を勝ち取った。「インディーズbeアンビシャス」のディレクターの佐藤がビートレスの所にやって来た。

「あめでとうございます。それではインタビューの撮影の日を決めさせて頂きます。」
「あの…。まさかそれって金かかるんすかねえ?」
「何を言うんですか、残念ながらギャラは出せませんがお金を取るなんてことはありませんよ。」

針村はホッととした。これ以上はもうお金を払うことはできない。無事バンドインタビューの撮影を済ませたビートレスは、放映の日を聞いた。

「えー、10月最終週の水曜日、深夜の28時からの放送です。」
「あ、結構遅い時間なんですね。ほとんど朝っすねえ。」
「どの局ですか? フジ?それとも日テレですか?」
「あ、いえいえ、新潟ビックテレビです。」
「…に、新潟っすか? 」
「そうです。本当に今回は御協力ありがとうございます。こんなに素晴らしいバンドを紹介して頂いて、安倍さんにもよろしくお伝え下さい。」

これからは地方がそれぞれに独自の文化を持っていく形ができあがってゆくはずだ。だからこれはこれで意義のあることだ。針村は自分に言い聞かせた。しかし、それなら最初からそう言って欲しかった。でももし「新潟のみの深夜枠」という条件だったら、あんなに高いノルマのライブをやっていただろうか? そうなると疑問だ。大体、この「オフィス・エプスタイン」関係のイベントはとにかくノルマが高すぎないか? そういえば安倍さんは新宿のあの店のオーナーなんだよな、とか、東京サリヴァンホールのブッキングマネージャーとも親しいらしいとか、いろいろ考えているうちに、何だかしきりに震えがして来た。頭も痛くなって来た。それとともに呼吸が苦しくなって来た。明らかに針村の身体が悲鳴をあげ始めていた。「明日はバイト休もうかな?」と思いながらも、「休んだらその分の給料がもらえない」という気持ちが針村を職場と駆り立てた。借金の返済もある。休むことは減収につながる。休むわけにはいかない。

次の日の夜。針村は吉野家の厨房でようやく解禁になったアメリカ産の牛肉を使った「牛丼」を作っている最中に倒れ、病院にかつぎこまれた。医師の診断の結果、入院が必要であることが判明した。針村にはひとつ問題があった。保険証が無かったのだ。国民健康保険の保険料は「オフィス・エプスタイン」に関わる前から既に支払っていなかった。ましてや「オフィス・エプスタイン」関連のライブに出るようになってからは毎月の収支が赤字となってしまい当然払えるわけが無かった。「治療の実費を負担」もしくは「滞納した保険料を支払って保険証を手に入れる」この2つの選択肢があったが、どちらも、ものすごい金額を払わなければならないことに変わりはなかった。来月の生活費すらも病院のベッドで寝ている今は稼げるはずもない。地獄だった。「ほのぼのレイラ」から借金枠を増額してもらおうか…。いや、そんなことしても返せるもあてもない…。途方にくれていた針村の前に、突然一人の男が現れた。針村の父だった。息子が倒れたことを聞き付けて田舎から急遽上京してきたのだ。

今年で定年を迎えた針村の父は、息子の話を聞き、保険料の滞納分、それから消費者金融からの借金分を一気に支払った。

「ちょうど退職金が出た所だから大丈夫さ。それより、お前、今は身体を治すことに専念しろ。生活費が足りないなら、いつでも連絡して来い。あんな、"ほのぼのレイラ"とかいうのは、二度と使うんじゃ無いよ。」

父の言葉に針村は打たれた。三十過ぎて、俺は何やってんだよ!! 病院のベッドの上で針村は大学を出てからこれまでの事をずっと考えていた。…そして、針村は決意した。見舞いに来たメンバー達とも相談した。メンバーも同意してくれた。針村は安倍に手紙を書いた。

「いろいろと考えたのですが、僕らザ・ビートレスはオフィス・エプスタインを辞めさせて頂きます。本当に安倍さんには世話になりっぱなしでろくに恩返しもできなかったですけど、全部僕らの力不足でした。もう僕らも若くないし、これ以上周りの人に迷惑をかけるわけにもいきません。僕らはもうバンドは卒業することにしました。でもオフィスエプスタインでの1年間は僕らに取っての最高の思い出になりました。バッド・リンガーの公雄君はじめ、他のバンドの人達にもよろしくお伝え下さい。本当にありがとうざいました。」

安倍はある朝、この手紙を自分のマンションの部屋で受け取った。隣にはあのバッド・リンガーの公雄君が肩を並べて座り、一緒にコーヒーを飲んでいた。

「おい、公雄君によろしくだってさ。」
「ふーん、そう。それよりさあ、僕らのギャラそろそろ上げてよ。この前の新宿の時はたった2万しか無かったじゃん。東京サリヴァンホールの時だってたった3万でしょ? 安過ぎるよ。」
「いやー、これでもやりくりが大変なんだからさ、まったく公雄君はわがままだなあー。」

安倍の言う通り、オフィスエプスタインは「バッド・リンガー」の活動費やギャラを捻出するために、必死で「やりくり」をしていた。部屋にはいろいろな請求書が溢れていた。「***セレモニー」と書かれた花環代の請求書はそろそろ支払いを行なう期日が迫っていた。ザ・ビートレスと切れてしまったのでオフィスエプスタインには代わりのバンドが必要となっていた。安倍は系列店である渋谷のライブハウスの巻井にメールをして、「ザ・ビートレス」に代わるバンドのホームページのアドレスを送るように指示を出した。それから、「東京サリヴァンホール」のブッキングマネージャーに電話をした。

「あ、安倍ですけど、埋まらない日があればこちらで適当に埋めますよ。その代わりさー。もうちょっと使用料安くしてよ。通常の60%? いやー、50%まではいけるでしょ?これだけライブハウスが増えたこの時代、東京サリヴァンホールぐらいの規模のハコが実は一番ブッキング埋めづらいこともっと自覚してよー。オフィス・エプスタインに任せてみなさいって。おかげさまで新宿の店はブッキング満杯だよ。」

安倍は愛する公雄君のバンドをビッグにするためには手段は選ばなかった。勝者は無数の敗者の屍を乗り越えてゆくものだ。「終わっているバンドに最後の夢を見させてあげた上で終わらせてあげること」は何も社会的正義には反しないと考えていた。

「公雄君。もう少しの辛抱だよ。まあ、もしうまくいかなかったら君をあの新宿の店の店長にしてあげるからさ。」
「えー、だってさー、店長とかいったってどうせパパが一番儲けるような仕組みになってるんでしょ?」
「公雄も分かって来たみたいだね。世の中は"頭のいい人"と"頭の悪い人"で出来ているんだ。とにかく物事にはいろいろな"仕組み"がある。それを見抜けない人間はいつまでたっても人に弄ばれるだけで終わってしまうんだよ。」

安倍の話に熱が入って来た頃、台所からお母さんの声がした。

「あなたー。公雄ちゃーん。これから買い物に行こうと思うんだけど、夕飯は何がいいかしら?」
「うん、ママ、僕はすき焼きが食べたいな。」
「そうね。じゃあ今夜はすき焼きにしようかしら。」
「昭恵。間違ってもアメリカ産の牛肉は買うなよ。あれは本当は危ないらしいぞ。」
「何言ってるのよ。あんなもの食べるのは貧乏人だけよ。」
「そうだな。昔からうちは和牛オンリーだからね。」
「あ、そうだ、今度僕"和牛のうた"って曲を作らなくちゃ。」
「まあ、公雄ちゃんたら〜。じゃ、行って来るわ、領収書は"オフィス・エプスタイン"でいいのね?」
「パパもママもこうやって公雄君の夢のために、がんばって税金対策してやりくりしているんだ。公雄君もがんばってデビューするんだよ。犠牲になった可哀相なバンドさん達のためにもね。」
「うんパパ。僕がんばるよ!」

針村は入院生活を終えて、アパートへ帰った。今日は針村の三十一歳の誕生日だった。バンドの仲間とはしばらく会いたくない。昔の友人はノルマに駆り立てられているうちに皆いなくなってしまった。バイト復帰は来週から。孤独だった、恐いくらいに。テレビをつけると小堺一機がサイコロを転がして「何がでるかな〜♪」という番組をやっていた。よく見ると「ローリングストームズ」のボーカルの三木君が出てた。その時、針村のアパートのドアをノックする者がいた。小躍りするような気持ちだった。この世にまだ自分を訪れてくれる誰かがいる。それだけで無性に嬉しかった。扉を開くとそこには、ヘルメットを被った一人の男がいた。

「すいません。NHKですけど。お宅はテレビありますよね?」
「…………………………… ああ。あるよ。でももう無くなる。」

針村はテレビをかつぎあげて集金人の目の前で、玄関から外へと力いっぱい投げ捨てた。コンクリートに叩き付けられたテレビは気持ちよく粉々になった。その様子を見て、動じることもなく集金人は言った。

「あの〜、テレビが壊れた場合はこちらの受像機廃止届けを書いて頂くシステムになっています。」

この世にはまだまだ自分の知らない仕組みがたくさんあるのだろう。そしてその仕組みにすがって、たくさんの人達が生きている。俺はこれからどんな仕組みの中で生きればいいんだろう。

針村の孤独はもう少し続きそうだった。

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