文化祭デビュー!


 高校2年の秋、僕は文化祭のステージにデビューすることとなった。 当時の音楽シーンはボウイが火をつけたバンドブームがいよいよ日本全国を巻き込んで、 マスコミなどもこぞって取り上げるまでのレベルに達しようとしていた。 ちょうどX(エックス)が”元気が出るテレビ”(ビートたけしのやっていたバラエティー)に出演し、 高田順次に、その過激な頭髪を、”ほほー、松ですかぁ〜。”などと突っ込まれて、 僕らにその存在を知らしめた頃だった。 ユニコーン、ブルーハーツ、ジュンスカ、 ジギー、ザ・ブーム、レピッシュ、プリンセスプリンセスなどなどがブレイクし、 高校生はネコもシャクシもバンドを組むという時代になった。 また、一方で、”流行りのバンドなんかダメだ!”という硬派な人々も存在していた。 そんな人々は、ボン・ジョビやらの洋楽ロックだぜ、のコピーや、 アースシェイカーなどのコピーをやり、 違う世界にいた。

 さて、そんな周りの状況の中で僕は僕でまた違う世界にいた。 それまでは、尾崎豊しか聴かないという状態だった僕は、 ある日友達のうちで、とても素敵なアルバムを聞かされた。 ポップなストリングでスタートするそのアルバムは、 佐野元春の”サムデイ”だった。 僕と佐野元春に関しては、 こちらを参照してもらうこととして、 (佐野元春サイトでインタビュー企画があり熱く語ったことがある、) とにかく僕は元春の音楽世界にハマッてしまった。 高1の途中くらいから、僕は朝と昼休みは音楽室に入り浸り、 ピアノを占領して、尾崎を熱唱するということをやり始めていたのだが、 そのレパートリーの中に佐野元春の曲が徐々に増えていった。

 ちょうど1学期も終わりの頃、文化祭の参加バンドが生徒会で募集され始めた。 まだまだピアノの腕前もあまり自信がなかったので、 僕に佐野元春を聴かせてくれた友人(エレクトーンが新潟で何位とかいう実力だった)を無理矢理仲間に引き込んで、エントリーした。 夏休みは僕のうちで練習に明け暮れた。 ちょうどその年僕の高校の野球部は甲子園出場を果たし、 学校全体は盛り上がりまくって当然みんな大阪までバスに乗って、 応援ツアーに行ったが、 僕はそれに参加することもなく、 暑い夏の空気の中、汗だくでピアノを叩き、熱唱していた。

 いよいよ文化祭が近付いて来て、僕は現実に直面した。 ”どう見ても浮いている・・。”という状況だった。 ある程度予想はついていたが、 周りのバンド達は流行りもののコピーバンドばかりだった。 佐野元春もみんな知らないというわけでは無かったが、 僕らにとっては、どちらかと言えばやや世代が上に属する存在だった。 ”名前は知ってるけど・・”という程度の認識しかされていなかった。 さらに困ったことになぜだか、当時の空気の中では、 いわゆる”バンド形態”のものばかりが神聖視されるという傾向があった。 (4ピースのビートパンク系が最もランクが上とされていた。) 渋いソロアーティストのコピーをキーボード中心のアンサンブルでお届けする僕らのユニットは、 どう考えてもダサかった。 セッティングの時も、”不遇”を味わった。 我が校のバンド人間達の主流派となっていた上級生達は、 キーボードに対して冷たかった。
”いーよ、キーボードなんて端っこにおいて置けよ!”の一言であえなく、 僕らのユニットはメンバーが2人しかいないくせに、 ステージの中央に誰1人立つことを許されず、 右寄りに”固定”された指定席で演奏することを義務づけられた。

 さて文化祭当日、学校の中はダイエースプレーとメッシュの匂いであふれていた。 ”バンドは髪を染め、盆栽のようにおっ立ててイナケレバナラヌ。”という共同幻想の中、 誰もがおめかしに夢中だった。 で、僕は・・・、ヴィジターズツアーのビデオで元春がしていた格好。 ジーンズに黒のタンクトップという簡素な出で立ちでバッチリとキメていた。 周りの人々は1時間もかけてメイクしたりしていたが、 僕の着替えは20秒で終わった。

そして、遂に来た。ステージ本番! ”ヤングブラッツ”からスタートした。 (この曲だけは打ち込みのリズムパターンを使った。) イントロが終わり、うたい出した。 ”うわっ、格好いい!!!”僕は自分の声に酔った。 考えてみれば実は僕はこの時初めて、 PAシステムを通した自分の声をモニタースピーカーで聴いたのだった。 そう、今までスタジオ経験もあったが、その頃はキーボードしかやらせてもらえなかったし、 うたの練習は音楽室や自宅が中心だったので、 マイクを通した声というのは聴いたことが無かったのだ。 (えっ?カラオケボックスは無かったのかって?無かったんだよ。 ちょうど僕が高校生の頃が、 電車のコンテナを改造したカラオケボックスのというものの原形が出来た頃だったんだ。) 普通、初めて自分の声を聴いたときには、誰もが”いや〜”な気持ちになるものだけど、 僕の場合は違っていた。それは僕が”ナルシスト”だったせいか、 僕の声が”本当に良かった”かのどちらかだと思う。 (後者だと思ってるんですけどね。だって、お客さんも”うおー”って言ってたし。) すべり出しは本当に良かった。 ところが、後半にさしかかると客がだれてきやがった。 おそらく元春の初期のロックオペラ的名曲”ロックンロールナイト”(10分もある曲)を、 キーボード弾き語りでやるという無茶が一番の原因だったような気もする。 やっぱり、それに、どちらかというとタテノリでピョンピョン飛びたがっている客達に対して、 サムデイをしっとりとうたいあげてしまうというのは、 やや辛かったようだ。(それでも無理矢理ジャンプしていたやつもいたが・・。) 決して悪い演奏では無かったと思うが、 ”場内割れんばかりの拍手でアンコールの嵐!” 、がもらえなかった僕は不満だった。 当時僕がノートに書き留めた言葉をここに記す。

わけも分からず飛び跳ねる観客
俺の音は聴かれていない
踊らされた俺 いったい何を訴えたのか
あいつらの心に何を残せたのか
音が空気に抜けるだけ
この俺はいったい何なんだ!?

だんだんヤバくなってきたので引用はこの辺りまでにしておく。 この先は・・うわっ、自分でも恥ずかしい。 (というか自分が一番恥ずかしいんだよな。)

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