発症


僕はもともとアレルギー持ちである。小さい頃からよく鼻をかんでいたし、 たまに喘息も出た。しかしながら、新潟で暮らしている分にはそれ程ひどいことにはならなかった。 ところが、大学生となり東京に出てきて独り暮らしを始めた頃からアレルギー系の疾患が次々と僕を襲った。 まず、夏の頃に喘息が出た。そして秋にはアレルギー性鼻炎が出た。 (出るのは春だけじゃないんだよ。) 医者に勧められてアレルゲンの検査をしたら、 ”スギ、ブタクサ、ハウスダスト・・”ありとあらゆる物質に対してアレルギー反応が出た。 理想的には食事療法で体質改善や空気のきれいなところで療養するくらいがいいのだろうが、 もちろんそんな金や時間や心の余裕などがあるわけがなく、 最初は医者でもらう薬、それから医者にもそうそう行ってはいられないので、 徐々に薬局で購入する薬を服用してなんとか生き延びていた。 ところが、医者や薬局で手に入れる薬は”眠く”なるという副作用があった。 当時大学生だった僕は、日々眠気と戦っていた。 そもそも鼻が詰まっていると頭がボウっとするものである。 大学の授業なんて”眠ってね。”と言わんばかりのものが大半をしめていた。 そんなわけで僕は授業中の睡魔と戦うのが本当に辛かった。 ある日こんな出来事があった。 とある授業で薬の副作用の眠気と鼻詰まりの苦しみと戦いながら必死で授業を聞いていた僕に、 担当教授がこんなことを言った。

”君ぃ!君にはどうせ分からないんだろうと思うが、ボケっとしているんじゃない! 最近の奴はちょっと難しいことをやるとこれだから困る・・・”

ショックだった。その授業は僕が”取りたくて”とったインド哲学についての授業だった。 (大半の学生は仕方なしにとっていたのだが。) ”どうせ分からないって、何だよ!”と心で思いながらも気力が萎えてしまった。 結局その教授にはそれ以来ずっと、ダメ学生扱いされて悔しい思いをし続けることになった。 (最後の授業で机の上に立ってギターで弾き語ってやった、ざまあみろ。)

 僕の友人でもアレルギーで苦しんでいる奴がいた。 そいつはぼくより重度で漢方の先生のところに通って10万円もとられていた。 漢方は保険が利かないからというということだったが、 それにしてもすごい額である。 ひょっとしてインチキだったのかという気もするが、 でも彼も本当に”わらにもすがる”思いだったのだろう。 この苦しみは分からない奴には分からないようで、 けっこう”分かってもらえない”という辛さも体験した。 (”花粉症だってさ、ははは”なんて言うなよなあ。) まあ、花粉症は誰もが発症する可能性を持っているらしいので、 僕はそんな”分かってない”奴に対しては、 ”お前も来年なるぞ・・・”と心の中で唱えて自分を慰めていた。

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